上沼緋佐子は少女期より七宝を始めた。
女子美大を卒業後も七宝制作に打ち込んできたが
1992年文化庁の泥釉七宝の再現プロジェクトに関わり、
自らの追究すべき技法にめぐり逢った。
明治以降の日本ではメタル七宝の透明な釉薬が一般的になり それまでの泥釉七宝の技術は途絶えてしまった。
透明な宝石の輝きの擬せられるメタル七宝に対し、 泥釉七宝は東洋的な玉の落ち着いた気品を漂わせている。
泥釉七宝との出会いと、